転居と人格形成③

今回は弟について。

弟は私の6コ下です。そのため、正直あまりよくわかりません(笑)

ただ、小学校から高校卒業まで転居は一度もなく、私たち兄弟の中で唯一幼馴染がいるコです。

中国地方の田舎で育ったため、地元愛があります。大学から実家を離れていましたが、大学の長期休みはほとんど地元で過ごしていました。

性格は、、、ホントによくわからない、、、

でも、兄のようにパラサイトはしないです。

妹ほど周りから愛されているようには見えませんが、それなりに友達もいるし、就職して働いています。末っ子のため、甘えん坊なところがあり、就職したてで研修などの時は、身体の◯◯がイタイとか、残業のせいでおかしくなるとか、色々言っていましたが、今は慣れたのかそんなに言わなくなりました。(結婚したからかもしれませんが笑)

母は弟を溺愛しています。この子は優しい!と、いつも言っています。

でも、実際、もし両親に何かあって地元に誰か、という話が出たら、兄はさておき、私も妹も実家に通うことはあっても、転居して、、、と考えてくれるのは弟だけかもしれません。そういう意味では、優しいのだと思います。

また、実家の場所にそれほど嫌な気持ちがないことも大きいと思います。

兄を含め、他の3人は、実家のある中国地方には行きたくないのに、連れていかれた。と思っているため、実家に戻りたいとは思わないからです。

私の場合は「実家に行く」と表現するくらいですから。

その点、幼少期より同じ場所で育った弟は「戻る」と考えるので、両親からしたら「優しい」と思うのかもしれません。


次は、私自身について書きたいと思います。

転居と人格形成②

今回は妹について。

妹は私の1つ下です。性格は明るく、いつもニコニコしており、とても優しい性格です。

小学校は3つ通いましたが、必ず転入した初日から友達と帰ってきていました。小さい時、私と妹の2人だけで祖父母の家に行った時、新幹線でとなりに座っていた老夫婦に妹がニコニコしていたおかげで、機内販売のアイスを買ってもらえたり、どんな人にも好かれる子供だったと記憶しています。

勉強はあまりできる方ではありませんでしたが、それを消すくらいの愛嬌とキャラクターで、誰からも愛されていました。

小さい時、そんな妹のことを私はとっても羨ましく思っていました。

妹は、優しい性格から、看護師を目指しました。専門学校に入ったため、実習などはかなり辛そうでしたが、そんな中でも、脱落しそうなクラスメイトの家に心配して見に行ったり(自分もかなり辛い状況だったのに)、励ましたりしてました。この子はなるべくして看護師になるんだろうなぁと感心していました。

そんな妹に転居が及ぼした影響1つ目、それは人一倍寂しがりということだと思います。専門学校の頃より一人暮らしが始まりましたが、必ず誰かと一緒でした。それは友達だったり、彼だったり。彼が出来たら、彼の家に同棲していました。彼の部屋でも1人ではいられず、彼が居ない時は友達と外出していたり、就職してから夜勤等で彼と時間が合わず、友達もつかまらない時は私に連絡してきました。その当時、私は関東に住んでいましたが、営業職で連絡がつきやすかったため、移動の車内でずっと電話していた時もあります。それくらい、一人に不安を感じてしまうようになってました。

二つ目、それは家でした。妹は結婚して2年もしないうちに家を買いました。とにかく落ち着く場所が欲しかったと言ってました。転居が多かったため、幼馴染が居なかったこともとても嫌だったと聞いたことがあります。妹の中で、自分たちで買った家があるということは、引っ越さなくていいという安心だったのかもしれません。家を買う時、キッチンやリビング、部屋等に特にこだわりもなく、建売の家をさらっと買ったことも、そのことを表しているように思います。

二つ目と少し重なりますが、妹は最近変化をとても嫌がります。とにかく安定を求めているように思います。

これも、転居が続いた幼少期からの反動なのではないかと考えています。


次は弟について書きたいと思います。

転居と人格形成①

私は4人兄弟です。

兄、私、妹、弟の4人です。

兄は小学校と中学校で転校を繰り返し、私と妹は年子のため、妹は小学校での転校となりました。唯一弟は幼稚園を2つ通ったのみで、ほぼ転居なく育っています。

そのため、偶然にも比較検討しやすい形となっています(笑)

 

今回は兄について書いていこうと思います。

兄について。

小さい頃の記憶は、とても乱暴で、横柄だということ。負けん気が強く、血の気が多く、学校等で喧嘩しては、親が謝りに行っていました。

兄は私の3つ上。毎日泣かされていたと記憶しています。

朝、洗面所の取り合いから殴られ、たたかれ、毎日泣いていました。

そんな兄は関西方面の中学校がとても気に入っていたようです。中国地方に転居が決まった際、一人ここに置いていけと親に懇願したほどだったと聞いています。

そんな兄は、体も大変大きく、また、親の都合で中国地方に転居となり、さらに1年後には父が単身赴任となったためなのか、家では王様のようにふるまっていました。家族が多かったため、食事の準備等は子供も手伝うルールでしたが、一人自分の部屋で呼ばれるのを待っていました。

母に兄も手伝うべきだと進言しても、波風立てたくなかったのか、ほおっておきなさいと言われていました。腫れ物に触るかのように、会話もなく、放置されている時期でした。

兄は、長男であるため、幼少時から両親からも祖父母からも親類からも大変かわいがられていたと思います。

大学は中部地方の大学に進みましたが、仕送り以上のお金をパチンコにつぎ込み、通帳の残高をマイナス(定期預金がある場合、ゆうちょ銀行は定期の金額まで引き出しが可能)にしていました。

その「マイナス」を母が仕送りとは別で送金していたため、兄は結婚し、子供がいる今でも親や叔父(叔父についてはまた別記事で書きたいと思いますが、金銭面では裕福)にパラサイトしている状況です。

大学時代から母方の祖父に数十万の借金を数回していました。親には内緒でした。

その後、大学院に入り、大手ゼネコンのT中工務店に就職しました。(大学院のコネ)

大学院に進む条件として、親は一級建築士の資格を就職後すぐに取るように指示しましたが、結局10年近くかかって、やっと取得しました。会社の同期の中でもかなりの遅れをとっているようでした。

 結婚した相手は正社員として働いたことがない当時26?27歳の女性でした。

二人して貯金がないのに、大阪のハイアットで結婚式がしたいだの、婚約指輪はティファニーの1カラット以上でないとダメだの、結納もきちんとしてもらわないと困るだの、要求がすごかったです。

それをたしなめるでもなく、親に金を出せと言ってのける兄。それに腹を立てながらも、お金を出す父。結果、婚約指輪はティファニー、ヒルトンで結納を済ませ、式場は交渉によりヒルトンになりましたが、結婚式を済ませた二人の新婚旅行はフロリダのディズニーワールド。すべて親がお金を出しました。ついでに言うと、引き出物はティファニーシャンパングラスのセット。今時誰が喜ぶんだか(苦笑)。その後、結納で使用した結納道具一式は、「不要ですので、よろしければお使いください」と実家に返品されてしまい、母は、「縁起物を再利用なんてするワケないのに、常識がなさすぎる」と怒っていました。

その後、実家に来るときも、兄夫婦(ある時より兄家族)は常にお客様扱いです。

今も働いている母が、来る前にお布団と部屋の準備をして、滞在中は三食準備して、洗い物をし、お風呂の準備をして、帰りにお土産まで持たせています。

ある時、兄家族が滞在中に母が外出することを伝えたところ、「お昼はあるものでいいよ。」と返事しており、唖然としたことを覚えています。

母に世話してもらうことをなんとも思っていないようです。

現在は3年前に他界した母方の祖父の家を、叔父のお金でリフォームし、賃貸で住んでいると会社に(ウソの)申告をして住宅手当をもらい、通勤のガソリン代も叔父の口座から引き落としされているにもかかわらず、会社から通勤手当も受け取っています。

兄嫁は専業主婦。いつもバーバリーの服を着て、子供にはファミリアの服を着せ、兄にユニクロ服を着せています。1つ800円もするトマトを買っていたりするので、兄の稼ぎだけでは生活できないのかもしれません。

 

こんなパラサイトになってしまったのも、高校受験時に転居させたという負い目から親が甘やかしたことが原因かもしれませんが、私は持って生まれた性格もあると思っています。なぜなら、4人兄弟のうち、パラサイトしているのは兄だけだからです。

私を含め、他の3人は自分たちの稼ぎで生活していますが、ここはまた別の投稿をしたいとおもいます。

結論として、兄は転校による人格形成への影響より、親の影響が大きかったと考えています。


次は妹について書きたいと思います。

4つの小学校に通った記憶

私は、生まれてから小学校6年生まで引っ越しを繰り返していました。

その結果、小学校は計4つも通うことになりました。

一つ目は関西方面の学校で、入学して夏休みまでしか通学できませんでした。

二つ目は北陸地方の学校で、1年生の夏から4年生の夏休み前まで通学しました。

三つ目は関西地方に戻って、4年生の2学期から5年生の終わりまで通いました。

四つ目は父親の実家のある中国地方で6年生の1年間。

小学校6年生から高校卒業まで、私は同じ場所で暮らしました。これは、最後の転居が父の親、つまり私の祖父の面倒をみるための転居だったためで、父はその後単身赴任で数回転勤を繰り返しましたが、「うつ病」を発症し、実家に戻ってきました。

精神科に勤務をしている中で、私は父は「うつ病」ではなく、「双極性障害」つまり躁うつ病だと認識していますが(笑)そう「診断」する根拠については、また別の投稿にしたいと思います。

 

次の投稿で、この繰り返し転居をした結果、私の人格形成にどのような影響を及ぼしたか、簡単に言うと、私の性格を考えてみたいと思います。

ひっそりと・・・

みなさま、はじめまして。

特にきっかけがあったわけではありませんが、思ったことを少しずつつづっていこうと思います。

 

自己紹介というか、私の現状を少し。

30代で性別は女性。恋愛対象は男性。

精神科のクリニックで「医療事務」として勤務しています。

「医療系」という独特の業界で、「精神科」というと特殊な科での勤務・・・仕事の実情については、おいおい書いていきたいと思います。

親が転勤族だったため、合計4つの小学校に通いました。

精神科で働いていますが、勤務に困っていないため、精神科の診断はついていません(笑)

 

誰に対するものでもありませんが、少しずつ始めていきたいと思います。

どうぞよろしくお願いします。